鑑真和尚、入洛
鑑真和尚、入洛
754年3月2日、鑑真和尚が奈良に着かれた。遣唐使の熱意に渡来を決意したが、中国政府の許可が出ず密航に近い形で出航し、失敗を重ねて失明までして12年目にやっと来日を果たした。当時の日本には「戒壇」がなく「戒師」もいなかったためである。初めての受戒会が行なわれ、聖武天皇の戒名は「勝満」、光明皇后は「萬幅」となった。その後はるばる中国から来て下さった鑑真和尚へのお布施として唐招提寺が建てられた。
仏教が日本に去来したのが538年。聖徳太子によって国教と定められ、仏教に基づいた政治が行われた。すなわち衆生を救済する道であり、平和を願う心である。仏教はインド・中国を経て中国の儒教と交じっていたが、太子は国を治める指針を仏教の中に見いだした。
先人達の仏教に帰依する心には敬服する。